夫の死に向き合って
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14年前に夫を食道癌で亡くしました。亡くなってからは、仕事のことに邁進し、夫のことを振り返ることがありませんでした。今、14年という時間を経て、ようやく、本棚の隅に置いてある夫が書き残した日記を見てみました。日記には、「急にご飯が呑み込みづらく、みそ汁で流し込むようにしている」「泡状に唾液が口の中にたまってくる」など…。本人は、病気についていろいろ調べ、食道がんで余命が少ないことや緩 和ケアへの入院などをメモしていたのをみると、とても不安になっていたことが、今も手に取るように伝わってきました。抗がん剤の治療が始まった時は、「治る」と希望をいだいていましたが、徐々に痛みが強くなり、辛さから「痛いんだよ」と怒鳴ったこともあり、麻薬製剤の痛み止めを処 方してもらうことで「スーッ」と痛みが消え、ほっとして楽になった時期もありました。その後突然、食道の通過障害がおこり、食事が食道につまり苦しい状態が改善せず、少しでも口から食べられるようにと食道ステントの挿入を決断しました。一時的に外泊し、私の作ったペースト食を摂取できていましたが、それも摂取困難になりステントの詰まりで病院に逆戻り。主治医から家に帰り家族とすごせるようにとポート造設し24時間中心静脈栄養を開始しました。本人は、私が仕事を していることもあってか、病気による症状変化への不安もあったでしょうが、今思えば私への気遣いもあったとのか、家に帰ることを望みませんでした。体調の悪化が進むと症状の変化を、本人が受け入れられず、厳しい表情になりナースにかなり強い口調で怒鳴りつけたことがありました。また、毎日面会をしても、つらい時は、全くしゃべらないことが続き、その後ようやく、痛み止めの調整により、心身とも痛みがコントロールできるようになりました。私は、最期を迎えるまで、仕事帰りに病室に行き、今までの夫婦の関係や子どもたちの成長のこと、進路のことを病室で話しあうことができました。ようやく最期の時間をお互いが少し寄り添えた気がしました。振り返るとよい看取りになったことを気づきました。
キュープラー=ロスは、死にゆく人と家族、介護者が落ち着いた環境でコミニュケーションを取れる時間を作り寄り添うことが大事だと言われており、私たちも在宅で症状コントロールをして、ご家族が良い時間を過ごせる様に、配慮していくことの意味の重要性を痛感しました。
千駄木の風
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立秋を過ぎて10月になりました。青い空と太陽と雲、緑の映える季節を過ぎ、朝夕にかすかな秋の気配を感じる季節になりました。訪問途中に、金木犀の甘い香りが漂ってきたり、夕食時には秋刀魚を焼く香りが漂い、秋ならではの香りを楽しみながら、自転車に乗って訪問しています。
このようなご時世ですが、すぐそばにある‘’幸せ‘’や‘’楽しみ‘’を感じながら、過ごしていきたいものですね。